2008年12月20日土曜日

イビラプエラのクリスマスツリー2008

クリスマスツリーこんにちは。今年もイビラプエラ公園のクリスマスイルミネーションを見に行きました。
「市の木(Arvore da cidade)」と呼ばれるツリーは、ビル24階分の高さの大きなものです。







イルミネーション・・・って、遅いですよね。すいません。クリスマス、正月を過ごした場所にインターネットがなかったもので。
でもこちらのツリー、1月6日まで飾られてますんで、許してください。

2008年12月15日月曜日

ブラジルのクリスマスデコレーション2008

バンコ・ヘアル外観こんにちは。サンパウロは暑くなったり、寒くなったり、と相変わらず読めない気候です。それでも、街はすっかりクリスマスムード。近所のパウリスタ通りのクリスマスデコレーションもかなり華やかです。
今年は、MASPの向かいの公園にも電飾が入って、いい感じになってます。夜はとてもこわーい感じだったんですが、お陰でで多くの観光客も入っているみたいです。

バンコレアル入り口しかし、なんといっても昨年も紹介したバンコヘアル(Banco Real)はすごいです。今年のテーマは、「世界のクリスマス(Natal no nosso mundo)」。
いろんな場所のクリスマスの迎え方が紹介されているようで・・・
豹柄だったり、着物風だったりと、サンタも衣装変えてきてます。



Oca中国










サンタクロースそして出口付近には、サンタとエルフがいます。コーエン兄弟&ビリー・ボブ・ソーントンの「バッド・サンタ」を思い出さずにはいられません・・・。




あと、ショッピングセンターのイグアテミもなかなか華やかでした。やしの木にリボンが、南国っぽいです。
建物前に巨大なサンタとなぜか犬がいます。この犬、雨の日に見たら、黄色いレインコートを着てました。用意してあるんですねえ。
やしの木イグアテミ











下着屋でも、一番、「さすがブラジル、すごいなー」と思ったのは、下着屋のサンタ。サンタがのぞき・・・。いいのかなあ。

2008年12月9日火曜日

サンパウロに戻りました!

こんにちは。日本でお会いできたみなさま、お世話様でした。私達は、アメリカで感謝祭の休暇を過ごして、先週半ばにサンパウロへ戻りました。

NWバシネット成田→ポートランドのフライトは、直行便でしかも夫が一緒なのでかなり楽だろう、と高をくくっていたのですが、ひどく疲れました。といのも、午後のフライトのため娘が眠らない、プラス、ノースウェストのバシネットがものすごく使いにくかったからです。
NWのバシネットは、日本へ向かったとき同様、毛布を敷いたダンボール箱入りのものだったのですが、ビジネスクラスに比べて位置が高い!あれを使いこなせるのは、身長180センチ以上だと思います。まあアメリカ人、でかいですからね・・・。あ、あと、ビジネスクラスとのもうひとつの違いは、箱に敷く毛布の枚数が少なかったこと・・・こんなところにも差が・・・?
そういうわけで、思った以上に娘がぐずったのですが、周りのお客さんはそんなに気にする風でもありませんでした。何故なら、一列後ろの席が、もっと騒がしくなっていたからです。なんと、急病人出現です。
「機内に具合の悪くなったお客様がいらっしゃいます。お医者様、医療関係のお仕事をされている方、どうか客室乗務員までご連絡下さい」と数度アナウンスがかかりました。機内がざわつくなか、「おお、ドクターハウス(最近はまっているアメリカのTVシリーズ)みたいだ」と不謹慎ながらちょっとわくわくしていたところ、真後ろのお兄ちゃんが医療関係者として名乗りあげました。で、患者は通路に寝かされて診察され、その合間に何度も吐き戻し、点滴を打たれていたようです。
まあ、吐き戻す乗客に泣く赤ちゃん・・・と多くの人にとってこのフライトは、忘れがたいものとなったことでしょう・・・。

コテージポートランドでのサンクスギビング休暇は、友人の客用コテージに滞在し、とっても快適&楽しかったです。が、ポートランドの日照時間が短いこともあって、娘の時差ぼけが直るまでにかなり時間がかかりました。
やっと直ったと思ったところで、もうサンパウロへ発つことに。

ポートランド→ヒューストン→サンパウロの道中は、そこそこスムーズでした。コンチネンタルで飛んだのですが、こちらのバシネットは、やっぱりぐっと使いやすかったです。
そして家までも難なく帰れるかと思いきや・・・サンパウロ到着後、コンチネンタルのカウンターに今すぐ来てくれ、と私の名前の呼び出しが・・・。「搭乗前ならともかく、いったいなんで呼び出されるんだ?」と思うものの、入国審査の列で待つ間に、どんどんアナウンスの間隔が短くなってきて、焦る、焦る。今回、ブラジルのパスポートを持った娘の親、ということで、「外国人」ではなく、「ブラジル市民」の入国審査口を通れた為、そんなに時間はかかってないのですが、カウンターには、「ヒガシですぅ~!」と手を上げて駆けつけました。すると、預けたスーツケースの1つが届かないからね、とのこと。うーむ。コンチ結構いいなあ、と褒めてたところだったのに。ブラジル便でスーツケースが届かない回数、更新です。
まあ、翌日届いたからいいんですけどね。

サンパウロは、うちのアパートも含め、すっかりクリスマスムード満載です。また今年も、ブラジルらしいデコレーションがあれば、写真に撮ってアップしますね。
それでは、また。

2008年11月6日木曜日

サンパウロからの子連れ帰国

みなさま、石川県からこんにちは。先月26日、3ヶ月の娘と共に帰国しました。
経路は、サンパウロ→ヒューストン(9時間)→乗り継ぎ3時間→ポートランド(5時間弱)→2日間ポートランド滞在、ポートランド→シアトル(1時間)→乗り継ぎ1時間→成田(10時間弱)→乗り継ぎ5時間→小松(1時間)。遠っ。
でも、案ずるより産むが易し。無事到着しました。しっかし、これだけ移動すれば、子連れでもうどこへでも行ける気がします。
とはいえ、自分ひとりで移動したわけじゃありません。サンパウロからポートランドまでは、ブラジルに遊びに来ていたアメリカ人夫妻が手伝ってくれました。また、ポートランド滞在は現地の友人が、成田の待ち時間には東京の友達が、それぞれ相手をしてくれました。友人のありがたさが身にしみます。

ところで、やっぱり初の子連れ移動。いろいろ予期しないことがございました。そこで、道中サプライズベスト5を発表したいと思います。

第5位:3ヵ月半の眠り
飛行機に乗る上で最も心配だったのが、娘の「耳抜き」。小児科の先生に「飛行機の離着陸時に耳が痛くなって泣き叫ばないように、なにかをしゃぶらせて耳抜きしてあげて下さい」と言われていたからです。
そこで最初は、緊張して離陸や着陸に合わせて、授乳体制を整えていました。ところが滑走路の渋滞、天候不順など、なんやかんやでタイミングが合わないことが多くて。大抵、娘が寝てしまって何もしゃぶらせられない、というパターンでした。でも、泣き叫ぶかと思いきや、平気なもんですね。気圧の変化なんて、全く気にしていない風でした。まあ、子供によるのかもしれませんが、拍子抜けです。

逆に苦しめられると予想もしなかったことは、娘の「時差ぼけ」。なんせ、ブラジルと日本は、昼夜真逆の12時間違いですからね。日本に来てから3日ほど、彼女は夜、ぱっちり目覚めていました。赤ちゃんでも時差ぼけがあるんだと驚いた次第でございます。

第4位:子供の航空費
2歳未満の幼児の国際線のチケット代、いくらかご存知ですか? 私は、座席を利用しない場合、無料だと思っていました。でもこれって、国内線の話なんですね。今回、ANAで成田>小松と移動しましたが、こちらは無料でした。しかも、すごい優遇対応。助かりました。
で、国際線の場合ですが、通常大人適用運賃の10%プラスタックスがかかります。
さて、この度、夫が電話でシアトル→成田間、マイルを使ってビジネスクラスにアップグレードしてくれました。ところが!対応窓口のネエさんが、子供料金間違って計算&チャージし忘れていたのです。
シアトルの搭乗ゲートで「お子様のチケットは?お支払いいただいてないですね」と言われた私の焦りといったら・・・しかも、ビジネスクラスの10%でっせ。たっかぁ・・・。更に当日になって、ノースウェストは飛行機を小さいものに変更したらしく、がっつり満席。エコノミーへのダウングレードまで交渉しましたが、無駄でした。まあ、乗れないという最悪の事態は免れたんで、よかったんですけどね。驚きました。

第3位:シートベルト着用サインが・・・
今回、国際線はバシネット(航空機の取り外し式ベビーベッド)のある席をお願いしました。これがないと、かなり辛いです。ヒューストン→ポートランドの5時間、子供が膝の上という状況には、かなり消耗しました。
さて、サンパウロ→ヒューストン間は、コンチネンタル航空コーチ席の最前列でバシネットを付けてもらいました。この便のバシネットには、ホックで留めて蓋になるカバーが付いていました。そのカバーを留めてさえいれば、離着陸以外の時間帯はバシネット、使用可能。サンパウロ時間で夜中のフライトだったため、娘は大半そこで寝ていて、かなり楽でした。
ところが、シアトル→成田間は、ノースウェスト航空ビジネス席だったのですが、こちらのバシネットには、蓋がありませんでした。代わりにというか、バシネット内には、毛布を敷き詰めた段ボール箱が入れられていました。捨て猫かよ。ねぇ?
そんなことより、蓋カバーがなかったことでした。そのせいで、シートベルト着用サインが付くたびに子供をバシネットから下ろせ、と言うのです。もぉ、これじゃ、やっと寝た子を起こすことに。そりゃ泣くって。いやぁ、驚きです。

第2位:中華系ビジネスマンが・・・
そんなバシネットから寝た子を何度も下ろすのはイヤだぁ、と思った私のとった行動は「寝たふり」。見回り(?)のフライトアテンダントを目を閉じてやり過ごす作戦です。これで結構凌げましたが・・・あるフライトアテンダントが、なんと隣に座っていた中華系ビジネスマン---それも一睡もせず英語のプレゼンスライドを見直している働き者---に、「お嬢さんの顔に毛布かかってるけど大丈夫?」と、娘のお父さん扱いで注意を!耳栓を外しても「?」とフライトアテンダントの言葉がすぐには理解できないビジネスマン。ただでさえ、娘がぐずったり、その前に彼の枕を盗んだり(でも席に2つ置いてあったんです!)、と迷惑をかけていたのに。
・・・飛び起きました。もぅ、ビジネスクラスはフライトアテンダントが客の名前と属性、把握してるって聞いてたのに。びっくりです。

第1位:大人用の着替えなんて・・・
赤ちゃん連れの外出は、どうしても荷物が多くなります。おむつや着替えが必需品。今回、そのおむつ&着替えが、ポートランドで早速役立ちました。搭乗ゲートで娘を膝の上に乗せていた時に、ぶぶぶ~っとやってくれました。備えあれば憂い無し、大丈夫だもんねー、っと思ったのも一瞬。アタシのジーンズにまで・・・うぅ、それを18時間はきっぱなし。しかも一部ビジネスクラス席なのに・・・涙。驚くでしょう?

以上でございます。

まだしばし滞在しますが・・・帰りはスムーズだといいなあ。まあ、帰りは旦那も一緒だから大丈夫かな。

2008年10月17日金曜日

インディオ文化のギャラリーショップ

店内今日は娘を連れて、初めて地下鉄でお出かけしました。行き先は、インディオのアート・ギャラリー、アモア・コノヤ(Amoa Konoya)
ブリガデイロ駅からスマレ駅まで地下鉄に乗ったのですが、ちゃんとバリアフリーになっていたのでスムーズでした。駅からの道は、友人が手伝ってくれたからいいものの・・・というかなりラフなものでしたが、まあ無事、たどり着きました。




店内さて、こちらのギャラリーでは、85ものエスニック・グループによる作品を販売しているそうです。小さな店内にぎっしりと楽器やアクセサリーが並んでいます。お店の人はものすごくフレンドリーでいろいろ説明をしてくれました。お店に来たアイヌの方の写真まで見せてもらいました。お土産もくれたし・・・お礼に宣伝ってわけでもないですが、紹介しておきます。



WalterSilvana

Museu Afro-Brasil

ムゼウ・アフロ・ブラジルイビラプエラ公園内にある、アフロ・ブラジル美術館(Museu Afro-Brasil)へ行ってまいりました。
こちらでは、アフリカから連れてこられた黒人やブラジルのインディオ文化に関する展示があります。そんなに大きな建物ではないのですが、所狭しともーのすごい量の色彩豊かなものが並べられ、圧倒されます。ちょっとないようなスペースの使い方で、迷ってしまうくらいです(私が方向音痴だからではなく、一緒の友人も言ってました)。
常設展と思われる部分は、ブラジル全土のアフリカルーツの文化(例えばカンドンブレとかマラカトゥの衣装とか)やインディオ文化に関する充実した展示です。好きな人にはたまらないんじゃないでしょうか。
最も私の印象に残ったのは、奴隷船のある部屋です。悲しい音楽のかかる薄暗い部屋の真ん中に船がおかれています。そして、周りの壁には、アフリカから連れてこられる奴隷の悲惨な待遇に関する展示があります。この部屋は入ったとたんぞっとしました。でも見ておいてよかったと思います。
他には、スラム(ファヴェラ)出身の作家、カロリナ・マリア・デ・ジェズス(Carolina Maria de Jesus)の名を関した図書館もあります。時間の都合で見られなかったのですが、関連資料がたくさんあるようです。

美術館の道中で気になったのは、写真のこちら。巨大クリスマスツリーの骨組みをおそらく外しているんでしょうが・・・機械じゃなくて人が縦に並んで取り組んでいました。落ちなきゃいいけど・・・。

2008年10月14日火曜日

6年ぶりのリオ・デ・ジャネイロ

こんにちは、みなさま。よい週末でしたか?
私は、アメリカの友人のリオ行き&夫のリオ出張が重なったので、だんなにくっついてリオ・デ・ジャネイロへ行って参りました。

レブロンサンパウロからリオまでは、飛行機で45分。市内の空港を利用するので、あっという間です。・・・通常は。
我々はまず空港の駐車場がほぼ満車で出遅れ、初の名前呼び出し放送に走ってチェックイン。にもかかわらず、滑走路混雑で機内で1時間待ち。なので、2時間かかりました。まあ、よくあることですね。木曜の夕方には、無事リオのサントス・ドゥモント(Santos Dumont)空港に降り立ちました。こちらの空港への離着陸時には、美しいリオの町並みが一望できるので、窓側の席がお勧めです。


イパネマまた、我々はレブロン(Lebron)地区にあるホテルに滞在したのですが、フラメンゴ(Flamengo)、コパカバーナ(Copacabana)、イパネマ(Ipanema)のビーチ沿いを抜けていくタクシーからの眺めはとても素敵でした。
ちなみに、滞在したホテルは、ビーチから2ブロックという抜群のロケーションにある新しいホテルプロメナーデ(Promenade)。ベビーベッドやベビーバスも貸してくれる充実したサービスで、ものすごくお勧めです。

さて、金曜日は夫が仕事に出かけたので、3ヵ月半の娘を連れて観光することにしました。天気予報は雷雨だったのですが、まぶしいほどの好天気。レブロンからイパネマのビーチ沿いを歩き、ホテルへ一旦引き返しました。
授乳などを終え、再度ホテルから出るといつのまにか朝とは一変して怪しい雲行き。ビーチに出ると風がひどく強いので、湖(ラゴア Lagoa)に行ってみる事にしました。

ラゴアラゴアは、6年前、リオに2ヶ月ほど住んだとき、毎日のようにその周囲を歩いたお気に入りの場所です。しかし・・・6年が長いからか、私が方向音痴だからか・・・道に迷って、やっと湖に出たところ、周囲7キロある湖の反対側でした。交通渋滞のため、タクシーには行き先を告げたら乗車拒否され・・・もうベビーカー押して雨を心配しながら3時間ほど延々歩いたのでした・・・はぁ。


フットバレー翌日は、一日中晴天。ビーチはすごい人出です。イパネマの娘だけではなく、長年の海水浴でなめし革みたいな肌になったじいさまや、鍛えたカラダにヘタクソな漢字タトゥーを入れたお兄ちゃん、堂々と水着を着こなしたばあさまなど、見ていて飽きません。毎度感心するフットバレー(手を使わないバレーボール)の試合も盛んに行われています。また、6年前に比べて、自転車人口が増えている気がしました。

おしりケーキリオはビーチタウンだけあって、街中でもサンパウロに比べて明るく軽い雰囲気がただよっている気がします。「全てあなたのもの・・・(Toda sua...)」と書かれたお尻ケーキ(写真)が似合う感じです。
この日は、イパネマを抜け、明るい光の中で、再度ラゴアを見ました。また、グロリアという丘へも上りました。

日曜は、ちょうどコパカバーナビーチでゲイ・パレード開催、ということで出かけてみました。が、大音量の音楽とドラッグクイーンに恐れをなした娘が泣き出し、早々に退散。
シュガー・ローフ(Pao de Acucar)へ上り、ロック・クライミングに挑戦することに。
ロッククライミングロッククライミング











シュガー・ローフ・・・というのは、嘘で、おとなしくケーブルカーで上って、コルコバード(corcovado)などの丘と海岸線を眺めました。
6年前と変わらず、多分それ以上に、リオ・デ・ジャネイロは魅力的な街でした。

それでもずっとはいられません。月曜の午後、サンパウロへ戻ってきました。帰りは信じられないほどスムーズ。娘も泣かず、なんとなく日本行きの飛行機への自信も少しついたのでした。

2008年10月7日火曜日

サンパウロ市立劇場ツアー

サンパウロ市立劇場本日は、Theatro Municipal de Sao Paulo(サンパウロ市立劇場)の内部ツアーに行って参りました。

1911年にコーヒーで財を成した人たちが、パリのオペラハウスを参考に建築したというこちらの建物は、とても豪華で一見の価値があります。パリのオペラハウス・・・と言っても、バロック、ルネサンス、アールヌーボなどが混ざった建築に、イタリアの大理石の彫刻や、レバノンの寄木造の家具、ギリシャの女神の絵画、ドイツのステンドグラスなどが飾られています。通常のオペラ鑑賞などでも建物内を見ることはできますが、ツアーでは、これらをひとつひとつ説明してもらえます。
館内は残念ながら撮影禁止でした。ツアーに参加したい方は、オフィシャルサイトのフォームに必要事項を記載し、tmeducativo@prefeitura.sp.gov.brへ送って事前予約をしてください。

ブラジルの単位

先週から、我が家にアメリカ人の友人夫妻が滞在しています。彼らと話していて、ブラジルの単位の多くは、日本人にとって馴染み深いものだと気が付きました。例えば、長さはメートル、重さはグラム、温度は摂氏(℃)といった具合です。日常生活の中でマイルとか華氏とかに換算しなくても済むのは、暗算が苦手な私にとって非常に助かります。
日本であまり使わない単位を挙げるとすれば、ダース(duzia:ドゥジア)でしょうか。例えば、フランスパンや果物を買うときに、「半ダース(meia duzia)下さい」といった言い方をします。日本人にとっては、12個より10個、6個より5個の方が切りがいいように感じるかもしれません。が、ブラジル人にとっては「12」が基準です。なので、日本のお皿5枚セット、といったギフトは「中途半端ぁ~」と思うみたいです。
その他、日本と違う単位は、服や靴のサイズ。S、M、Lは、P、M、G。女性の服は、36で約9号、38で約11号と、ヨーロッパと似た単位だと思います。靴は、34(23cm),35(23.5cm),36(24cm),37(24.5cm),38(25cm)といったところです。センチメートルの単位はこちらでも使うので、靴屋の店員にセンチメートルで話しても、だいたいのところの靴を出してきてくれます。
まあ、服や靴はなんといっても試着せずに、自分にぴったりのサイズを見つけるのは難しいですけどね。特に誰もが適当なブラジルでは・・・。

2008年10月1日水曜日

ブラジルの輸入禁制品

みなさま、こんにちは。
早いもので、明日で娘も3ヶ月になります。
かわいいおくるみや洋服、おもちゃから、おんぶひも、笛族の民芸品に、とろろ昆布、たたみいわし、くさや、干しホヤ、等々・・・いろんな趣向を凝らしたお祝いを送っていただきまして、本当にありがとうございます。

ところで先日、魚介乾物たちを前に、「よくこんなエイリアンみたいなやつ、税関で引っかからず届いたねー」などと、だんなに言われて思い出したことがございます。
レシフェに住んでいたときに、禁制品輸入の疑いで連邦警察に呼び出されたことがあったんでした。その品は、友人が送ってくれたピストル型のライター。まさかこれを武器だと思った、ってことはないでしょうが・・・倉庫みたいな事務所での面接は結構緊張しました。まあ、そんなにお咎めもなく、確か書類にサインして没収、という経緯だったかと思います。

そういえば、ついでに思い出しました。アメリカに住んでいたときに、母が「おじいちゃん家の庭で採れたキウィ」を荷物に入れてくれたことがありました。しかも船便。これは、税関で抜かれて、他のものだけ届いたんだったと思います。
いやあ、やっぱり税関ってチェックしてるみたいですね。

ブラジルの禁制品リストは、こちら。日本郵便サイト

2008年9月26日金曜日

ブラジルの大衆ビール

ブラジルを代表するビール、ブラマ(Brahma)が120周年を迎えたそうです。記念サイトでは、北京オリンピックの開会式を見ながら「ブラジル人には絶対無理だよねぇ」と言い合っていた夢のマスゲームで彼らが足並みを揃えている姿を見ることができます。参加だってできます。
ブラジルのビールは薄くてなあ、などと侮っていましたが、このブラマの黒生は泡もクリーミィで非常においしいです。書いていて、生ビールを飲みに行きたい、と切なくなってきました。

うちのアパートの並びにオープン・カフェならぬオープン・居酒屋が2件あります。仕事からの帰り道だったので、そこを通る度に、ポテトフライと生ビールを前に、ものすんごく楽しそぉうに談笑する人々を見ることになります。見ちゃいけない、見ちゃいけない、と思っているのに、横目で捕らえてしまった光景に「そうか、飲んじゃうんだな、熱々のポテトの後じゃそりゃ旨いよな」とか「おぉ、もう一杯頼んでたのか、うっわぁ、グラス白いよ、すっげぇ冷えてんなあ」などと頭の中で実況中継が開始され、それを振り切るように、歩調を速めたりしてたのでした。はい、妊婦、がんばりました。思い返しても自分を褒めてやりたいくらいです・・・。なんて。

さて、ブラジルで誰もが知っているビールと言えば、ブラマの他に、ペンギンの模様がかわいいアンタルチカ(Antarctica)、若者向けのイメージが強いスコール(Skol)ソル(Sol)、、ちょっと高級な、日本で言うとエビスっぽい位置づけのボヘミア(Bohemia)、根強い男性ファンを持つカイザー(Kaiser)、安さ軽さで一気にシェアを獲得したノヴァ・スキン(Nova Schin)、味で売りたいバヴァリア(bavaria)といったあたりがすぐ思い浮かびます。
350の缶、ロングネック瓶、あと600の大瓶が一般的なサイズ。全般的に軽いので、キンキンに、こっちで言うところの「馬鹿なくらい(stupidamente)」冷やして飲むのがお勧めです。
でもやっぱり外で飲むなら、生ビール(chopp)の方ですね。味わう系の地ビールについては、また今度。

2008年9月24日水曜日

ブラジル日本移民資料館

イペーサンパウロは、ブラジルの国花、黄色いイペー(Ipe)が咲く季節になりました。
この花を見て、6月に母と訪れたブラジル日本移民資料館(Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil)のことを思い出しました。ここに美智子様が詠んだ「移民きみら辿(たど)りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび咲きし」という歌とイペーの大きな写真があったからです。

日本移民資料館ブラジル日本移民資料館は、日本人がサンパウロを観光する際に外せないスポットです。
と言いつつ、私はサンパウロに1年以上住んでいながら、移民百周年で皇太子様(!)が訪れてやっと「じゃあ行ってみるかね」と重い腰を上げたのですが・・・いやぁ、見学する価値、ありました。




リベルダージさて、資料館は、東洋人街リベルダージ(Liberdade)の日伯文化協会(Sociedade Basileira de Cultura Japonesa)ビルの7~9階にあります。地下鉄だとリベルダージ駅よりサン・ジョアキン(Sao Joaquim)駅が最寄となりますが、リベルダージからも充分歩けます。リベルダージ駅からだと、百周年を迎えるに当たって塗り直された、きれいな鳥居の並ぶガルバン・ブエノ通り(Rua Galvao Bueno)を下っていきます。色褪せた鳥居が見えたらそろそろです。しかし、全ての鳥居を塗りなおす暇、なかったんでしょうか・・・。どうでもいいですね。

この文協ビルは、日系人の活動の中心で、資料館の他にも日本語の通じる病院や図書館なんかも入っています。方向音痴の我々は、病院の待合室とか講堂とかも見ちゃいました。なんとなく懐かしい感じの日本語の貼り紙がたくさんありました。そういえば、来伯した小泉元首相が泣いた・・・というのもこの場所ですね。

で、資料館ですが、最初の移民船「笠戸丸」がサントス港へたどり着いた100年前から、第二次世界大戦終了直前までの日本移民の軌跡が、年代を追って見られるようになっています。
我々が訪れた日は、声の良く通るガイドさんを先頭にした日本人観光客のグループも後から入ってきました。ガイドさんのあまりに上手な解説に、思わず順路を変えて、さりげなーく彼らの後について行けるよう待ち伏せしてしまいましたが・・・。まあ、ガイドさんなしでも、堪能できるかと思います。機会があれば、是非どうぞ。

2008年9月5日金曜日

ブラジルの飲酒運転規制法

みなさま、こんにちは。
久しぶりに、日本のコンビニへ出かけたら、「ピンドラーマ(Pindorama)」という日本語のフリーペーパーをいただきました。初めて読んだのですが、なかなか面白かったです。で、その中にブラジルの飲酒運転規制法に関する記事があったので、6月に法律が施行されたことを思い出しました。それで、今日はブラジル人の飲酒運転に対する態度についてお話しますね。

法律が施行されたとはいえ、ブラジル人の多くは、未だお酒を飲んでも車を運転して帰るようです。飲酒運転はいけないこと、という意識がないです。寧ろ、特に男性は飲んでもハンドルを握れることを誇りとしているきらいがあります。
前に勤めていた会社で、若者の飲酒運転防止キャンペーンの企画に参加しましたが・・・ブレスト参加者の多くは、「大学生と違って、呑んでも運転できないほど酔わないから、俺は」と思っているようでした。当然ながら、そんな面子で作られたキャンペーンは効果なっさそ~ぉな感じでございました。まあ予算も時間もなかったんですけど。

私が思うに、飲酒運転が受け入れられてきた理由は、マッチョカルチャーに加え、車社会だからです。
サンパウロには地下鉄やバスもありますが、夜間の利用は危ないです。飲酒運転以上に怖い、と思う人が大半のはずです。また、会社などへ車で出かけて、タクシーを利用・・・というのも、なかなか実行しにくいものです。だいたい、タクシーの運転手からして、飲酒運転してますし。
前に、イビラプエラ公園のタクシー乗り場前に無人タクシーが止まっていたので、運転手を捜すそぶりをしていたら、近場でビール飲んでたおっちゃんがやってきました。しかも乗り込んだら、助手席にビールの空き缶が2つ転がっていました・・・。そりゃあ、公園でビール呑みたくなる陽気ではありましたが・・・全く悪びれる様子もなく、困ったものです。

それでも「ピンドラーマ」の記事によると、法律施行後30日間で連邦高速道路の事故による死者が12%減少したそうです。今後、周りの意識が変わるのか・・・またご報告しますね。

2008年8月21日木曜日

ブラジルのパスポート申請

こんにちは。夫の両親が、月曜にバイアへ帰りました。みなさまご期待の(!)「国境を越えた嫁姑バトル」もなく、和気藹々・・・は言いすぎかもしれませんが、まあ、いろいろ助けてもらいながら、無事1ヶ月が過ぎました。娘が話題の中心になることが多かったおかげで、嘔吐、排泄関連のポルトガル語ボキャブラリーもだいぶ増えました・・・。

さて、今秋、娘と共に日本を訪ねる予定なのですが、彼女は小さいくせに、この旅には日本とブラジル両国のパスポートが必要です。というわけで、昨日、彼女のブラジルのパスポート申請に行ってきました。
申請は、連邦警察(policia federal)の出張所で行うのですが、まずインターネットで時間の予約をしなければいけません。これが結構混んでいて、下手をすると旅行に間に合わない!ということになりかねません。たまたま空があったので良かったのですが・・・。
で、いろいろな書類、写真(これがまた撮るの、大変でした。新生児以外はその場で撮影です)を持って、両親と本人が予約時間に申請に行かなければならないのですが・・・本人が行く必要あるってどこにも書いてなかったんですよね。で、我々夫婦だけで行って、駄目だって言われて、また子供連れて戻りました。予約を失効しなかっただけが救いです。
しっかし、出生届け他、提出させられる書類だけで十分だろうと思ったのですが、申請受付の人曰く、「前にあったのよ、ベビーカーの中にぐるぐる巻きにした毛布だけ乗せて申請に来たケースが・・・」とのこと。さすが、偽造パスポート人気ナンバーワンと言われるブラジルだけありますねぇ。ちなみに人気の理由は、誰もがブラジル人と言っておかしくないからだとか。
なお、日本のパスポート申請は、片親のみ行けばOKです。しかも5年版。それもすごいですよね。ブラジルは、4歳まで1年版だけでございます。

2008年8月18日月曜日

アパートの庭

こんにちは。サンパウロは、週末から気温が上がり、ぽかぽかしています。私は、ベビーカーを押して近所を歩き回っています。また、アパートの庭でもたくさん時間を過ごしています。
このアパートに引っ越して、1年以上経ちますが、これまでは特に庭を歩いたりしませんでした。と言うのも、おとぎの国の人たちが怖かったからです。

白雪姫赤頭巾



蘭でも、エレベーターで子連れの住人に勧められて歩いてみたところ、蘭や薔薇、つつじが満開で、これがいい庭なんですわ。日本だと、蘭は温室のイメージですが、さすが南国、ブラジル。いい感じです。ちなみに、黄色いのは、管理人いわく、「2年掛かった」咲かせるのが難しい蘭だそうです。


蘭蘭蘭蘭

サウダージ、カイミ(Caymmi)

dorivalCaymmiこんにちは。
前回、私の好きなブラジル音楽界の大御所の近況についてちょっと書きましたが、土曜に大きな出来事がありました。バイア出身の作曲家・歌手、ドリヴァル・カイミ(Dorival Caymmi)が癌のため亡くなったのです。94歳でした。

ドリヴァル・カイミアカラジェの紹介でもちょっと触れましたが、バイアを美しく表現した曲がいくつもあります。機会があれば、是非聞いてみてください。なかでも、彼の子供達(みんなアーティスト)が歌っているCDはお勧めですよー。

2008年8月13日水曜日

音楽の話

みなさま、こんにちは。お祝いのメッセージを寄せてくださった方々、ありがとうございます!
ブラジルでも、たくさんのお友達や親戚が訪ねてきてくれて、レンブランシーニャもほぼ捌けました。
家に来る人は、大概子供にプレゼントを持ってきてくれました。いただくものは、ベビー服や靴が多いです。また、かわいらしいメリー(ベビーベッドに吊るす音楽がなるおもちゃ)を4つももらいました。

メリー「カレンちゃん、今日はホドルフおじさんにもらったメリー、かけてみようか」
タリタン、タリタン、タッタッタラー♪タリタン、タリタン、タッタッタラー♪
「今日は、リビアおばさんにもらったやつね」
タリタン、タリタン、タッタッタラー♪タリタン、タリタン、タッタッタラー♪
・・・。
楽しみに取り替えてみたものの、どれも同じメロディ・・・。
なぜゆえ?ブラジルのメリーはこの音楽に決まっているとでも・・・?
更に、姑も夫も子供をあやす時やシャワーを浴びるときについつい「タリタン、タリタン、タッタッタラー♪」と口ずさんでしまうらしく、我が家中&頭の中にこのメロディが蔓延しております。

そんなことより・・・私の好きなブラジルの大御所アーティストの近況の話を。
まず、2003年から5年半、「歌う」文化大臣(ministro da Cultura)を務めたジルベルト・ジウ(Gilberto Gil)が、「アーティスト活動に専念するため」今年の7月末で退任しました。外交の場にドレッド(づら?)&スーツで登場して太鼓演奏したり、カーニバルではしゃいだり、大臣、そんなでいいんかい?と、おもしろかったのに残念です。9月に来日するんですよね。きっと盛り上がるんことでしょう。いいなあ。
そんな行きたくても行けないショウといえば、ジョアオ・ジルベルト(Joao Gilberto)が、14、15日、イビラプエラで演奏します。彼は、東京での演奏で、スタンディング・オベーションの最長記録を更新し、ギネスに載ったとか。日本人の心を打つんでしょうか。しかも、イビラプエラのショウには、カイタノ・ベローゾ(Caetano Veloso)も登場するらしく・・・うーん、見たいなあ。ああ、そして、「タリタン、タリタン、タッタッタラー♪」から抜け出したい・・・。
また。

2008年8月5日火曜日

娘の名前と国籍

サンパウロは、東京の冬のような、からりとした気持ちのいい陽気が続いています。が、私は、未だ出かけても近所止まりで、生後一ヶ月の娘に仕える日々でございます。

さて、うちの子の名前はカレンというのですが、こちらの友人に、よく「で、日本語の名前は?」と聞かれます。というのも、ブラジルの日系人は、名前を2つ持っていることが多いからです。例えば、ホベルト・新一郎(領事館の書類の記入例がこれでした)とか、ダニエラ・マイ、とかです。
我々も最初はそのパターンにしようかと考えたのですが、うちは、娘の苗字を2つにする(ヒガシ・マーサル)のに加え、こっちの女の子は結婚するときに男性の苗字を付け加える習慣があるため、止めました。(例えば、外務・ホベルト・新一郎とアナ・マリア・コエーリョがブラジルで結婚する場合、彼女は、アナ・マリア・コエーリョ・外務、になる可能性が高いということです。)
ちなみに実の妹までに「お姉ちゃんの苗字って何?」と聞かれましたが、私の苗字は、ヒガシだけです。日本で外国人との婚姻届を提出する際には、(1)夫婦別姓、(2)夫、もしくは妻の姓を名乗る、というオプションがあります。で、面倒くさがりな私は、当然のように(1)を選んだのでした。
なので、うちは夫婦別姓で、娘が両親の苗字を持っている、という形です。・・・ブラジルで提出した出生届では。

でも、日本じゃこのパターンが通用しないんですねー。先日、在サンパウロ日本領事館に、娘の日本国籍を保持するために、出生届を提出に行って知りました(日本は日本人の子供に国籍を与えますが、ブラジルは、両親の国籍に関わらず、ブラジルで生まれた子供に国籍を与えます。出生から3ヶ月以内に日本国籍留保の届出をすれば、22歳まで二重国籍です)。日本の制度だと、娘は私の戸籍に入るため苗字はヒガシのみ、2つ持てないとのこと。結婚後、6ヶ月以上経っているので、夫の苗字に変えたい場合は、家庭裁判所へ、とのことです。厄介なので、行かないですけどね。ただ、パスポートには、2つ苗字を記載できるそうです。国によって苗字が増えたり減ったりするのも、おかしなことですねえ。

2008年7月25日金曜日

出産のご報告

ご無沙汰しました。ご連絡いただいた方々の予想通り、前回の更新日の夜中に破水し、翌朝、7月2日に無事出産致しました。この場を借りて、ご報告させていただきます。メールをいただいた皆様には、追ってご連絡しますね。

さて、娘は私を干上がらせる勢いで母乳を飲み、医者も驚くスピードで大きくなっています。しかし・・・新生児の態度がおっさんくさい---それも、新橋界隈で早々に出来上がった---のにびっくりです。うちの子だけですかね?
乳を飲んだ後に、赤ら顔で、ぷっはーぁ・・・と音を立てて仰け反り、薄目を開けて手で口をぬぐい、っちゃ、っちゃ、と舌で音を立てた上に大の字で寝転がる、それからゲップ、シャックリ・・・と続く有様なんですが。夫は、新橋のおっさんとは縁の無い、縄のれんよりカフェ・バーを好むダンディなラティーノ(!)なのに、誰に似たんだか。
・・・あ、あたし?

プロマトレ閑話休題。
出産した病院は、サンパウロの産院でも評判の高いプロマトレ(Pro Matre)。家から徒歩5分の便利さでございます。
ブラジルでは、出産まで定期健診に通う所と出産する病院は、通常、異なります。まず掛かりたい医者を選んで、その先生の診療所を訪ねます。診療所は、小規模なので、例えば血液検査や胎児の心臓のチェック、などというと別の診療所や検査を専門で行うラボへ行くことになります。で、結果を次回お医者さんに持って行くという仕組みです。また、出産も先生が指定する病院で行われます。なお、これは、病気などでもそうで、診察と手術は別の場所、という形が多いです。

さて、私は、マリアンジェラ先生の診療所へ検診に通っていました。で、破水した際には、先生の携帯に電話し、病院へ行くよう指示を受けました。先生は、産院と診療所で働く助産婦さん、エリアニさんに連絡。病院では、常勤の看護婦のチェックを受けた後、分娩室へ入りました。着替え終わった頃、エリアニさんも到着。そこからは、彼女が指揮を執り、そろそろ産まれる・・・という頃にマリアンジェラ先生が同じく産婦人科医の夫と共にババーンと登場、という流れでした。ちなみに、麻酔医師は先生の夫の弟、とファミリーチームでございました。こちらでは、自然分娩=無痛分娩なので麻酔師がいるのです。しかし、麻酔前でさえ、驚くほど痛みがなかったです。マリアンジェラ先生登場まで、みんなで日本移民100周年について話しているくらい・・・。

余談ですが、ブラジルは、帝王切開率が非常に高く、自然分娩はものすごい勇気のいることのように思われています。また、みんなが自分の意見を述べたがる国民性なので、妊娠中は「妊娠何ヶ月?」「男の子、女の子?」の質問に続き、「帝王切開?自然分娩?」の質問をやたらと受けました。例えば、タクシーの運転手(男性)も「いやあ、やっぱ自然分娩がいいと思うよ」と意見し、花市場のおばちゃんも「あっらー、自然分娩は辛いから、止めたほうがいいわよ。私は3人とも帝王切開で産んだわよ」てな具合でした。なんで、今後私が「自然分娩、平気だったよ」と言うと、称えられることでしょう。日本は、麻酔もせずに多くの人が出産すると思うと、えらい違いですよね。

さて、出産後は、分娩室で朝食を食べて少し休んでから、部屋へと移りました。その日のうちにシャワーを浴びたり、授乳したり、がありました。母子同室ですが、夜中は母親が休めるよう、授乳だけに赤ちゃんを連れてくるという仕組みになっています。ただ、一応「休ませよう」という基本姿勢はあるようですが、ぜーんぜん休めません。日中は、ひっきりなしに人---看護婦、新生児室の人、栄養士、看護婦のスーパーバイザー、新生児室のスーパーバイザー、掃除の人、病院のクオリティ管理の人、食事係り、小児科医、保険会社---などが出入り&電話を掛けてきて、眠れません。
病室前の廊下そして、夜は友人がギフトを持ってお祝いに来るのです。正直、この友人が来るというの、疲れます。でも伝統なのか、他の病室の前に祝ってくれる友人がたくさんいる印のように花が並ぶと、自分の部屋の前に何もないと、なんとなく惨めな気持ちにさせられます。誰も来なかったら、バレンタインに自分でチョコレートを買う男子ように、見栄で花を買っちゃったかもしれません。・・・そういうもんですって。

しかし、この病院は、一応良い病院とされているところなんですが・・・一回部屋で風呂に入れるのを見せてくれただけで(「泣くものよー」といって泣き叫ぶ子を強引に洗ってました)、授乳、オムツの替え方など育児に関する指導は、全くなかったです。しかも、受けるとサインした免疫注射1つし忘れるし。これで高級だと、他の病院はどんななんでしょうか・・・。

まあ、それでも3日目に退院し、無事今日まで来ています。また、折を見てブログ書きますね。今日から、夫の両親が家に滞在しますので、まあ、そんな話でも・・・。

2008年7月1日火曜日

ブラジル彫刻美術館(MuBE)

彫刻美術館出産間近・・・といいながら、相も変わらず出歩いています。
今日は、ブラジル彫刻美術館(Museu Brasileiro da Escultura / MuBE)へ行ってまいりました。



彫刻高級住宅地、ジャルディン・ヨーロッパ地区にある約7000m²の三角形の敷地に、ブラジルの建築家、パウロ・メンデス・ダ・ロカ氏(Paulo Archias Mendes da Rocha)が設計した、コンクリートの直線的なのに複雑な空間が広がっています。コンクリートと緑がちょっとオスカー・ニーマイヤー設計のラテンアメリカ記念公園(Memorial da America Latina)を思い出させます。
屋内では、絵画の展示、屋外では彫刻の展示がありました。



鳥の彫刻入場は無料ですが、あまり人がいなくて、静かにぼーっとできます。ずーっと本を読みふけってる女性もいました。ほっとできる穴場かもしれません。
日曜日はアンティークマーケットが開かれるそうなので、また雰囲気が変わるのかもしれませんが・・・。





Nossa Senhora do Brasilちなみに側のノッサ・セニョーラ・ド・ブラジル教会(Paroquia Nossa Senhora do Brasil)もステンドグラスやタイル、天井の絵など一見の価値がありました。よろしければ、こちらもどうぞ。

ところで、明日は病院に行って、子供が生まれるまで帰らない・・・という予定になっております。しばらくブログの更新がストップするかもしれませんが、ご了承下さいませ。

ヘプブリカ広場のフリーマーケット

ヘプブリカ広場地下鉄のヘプブリカ駅を出てすぐのヘプブリカ広場(Praca da Republica)でも、日曜日の9時から17時、蚤の市が開催されています。
こちらは、日本のTV番組でも紹介されたほど、大きなものです。


楽器の店露店は、これまでに紹介したフリーマーケットに比べ、ブラジルの代表的なお土産と呼べる手工芸品---水晶細工や半貴石のアクセサリー、蝶のパネル、編み物、ビリンバウなどの楽器、皮細工、粘土細工など---や、アーティストによる絵画やバチック染めなどを売るものが多くみられます。また、食べ物コーナーでは、アカラジェやパステル、焼きそばなどが食べられます。

露店ひとつひとつお店を見て回ると、半日は簡単に過ごせそうです。天気のいい日は、賑やかで気持ちがいいですよ。あと、お店は閉まっていますが、車が混まないのでセントロの観光と組み合わせてもいいかもしれませんね。

2008年6月27日金曜日

ブラジルのお寿司

サンパウロ市で日本料理は、ブラジルの代表料理シュラスコのレストランよりも店数が多いというくらいポピュラーな食事になっています。中でも、やはり人気の和食といえば、お寿司です。もちろん本格的なお寿司もあるのですが、今回は、ブラジル人に人気があるブラジル化したお寿司を主にご紹介します。

ブラジルの寿司にぎりの中で、最もポピュラーなネタは、サーモンとマグロ。また、「サーモン・スキン(salmao skin)」と呼ばれる鮭の皮を揚げて、甘いタレを塗ったネタも好まれています。

また、この系統で大人気なのが、「オッチ・ホール(Hot Roll)」。「日本食、大好き!特に、オッチ・ホール!」と言われても、長らく何のことか分からなかったのですが、「オッチ・ホール」=「Hot Roll(ホット・ロール)」。英語のポルトガル語読みで、巻き寿司の天ぷらに甘いタレをかけたものだと判明しました。輪切りになったオッチ・ホールの上にトマトやイチゴがトッピングされたものもあります。トッピングは、甘くてびっくりするかもしれませんが、オッチ・ホール自体は、意外とおいしいものです。

ちなみに寿司ネタとして、イチゴやキーウィ、メロンなどの果物が使われることも珍しくありません。アメリカ生まれのカリフォルニア・ロールは、ブラジルに来て、カニカマ・キュウリに加え、アボカドではなく、マンゴーが入ったものとなりました。こちらも、悪くないです。

回転寿司来伯の際、ブラジル化したお寿司を食べてみたい、という方は、「寿司祭り(festival de sushi / rodizio de sushi)」開催中のレストランに入るのがお勧めです。これは、一定の金額を払って、食べ放題、もしくは一定数の好きな寿司を食べられるシステムのこと。これには、回転寿司形式もあります。回転寿司は、1皿に2種類の違うネタが盛られていることが多いようです。皿がベルトに乗ってくるタイプではなく、写真のように、舟で流れてくるスタイルもあります。

また、テマケリア(temakeria)と呼ばれる手巻き専門店もあります。これは、夜遊び前後に若者が立ち寄るようなお店という位置づけです。手巻きの具は、ネギマグロやサーモン&クリームチーズなどに加え、「シメジ」と料理名になっているシメジのバター醤油炒めや、イカリングフライなどもあります。いずれの具にしても、ぎっしり詰まっていて、1本でハンバーガーを食べたような満足感が得られます。
日本でも流行りそうな気もしますが・・・どうでしょう?

まあ、でも別物ですよね。丁寧に仕事してある、日本のすっごい旨い寿司、食べたいです・・・。